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2011年2月18日 (金)

ソーシャル・ネットワーク(mixi日記のエントリに加筆修正ver.)

まず。ぼくがこの映画を観る前に一番気になっていたのは、ザッカーバーグが伊藤計劃さんいうところの『世界精神型」の悪として描かれているのか?ということ。

「世界精神型」の悪ってなに?ってのはこれ↓




ある物事を主人公たちに見せつけることそのものを目的とし、その見せ付ける過程が映画になってゆく、そんな悪役を「世界精神型」と呼ぶ。

 伊藤計劃—第弐位相 07-02, 2007 殺しの烙印


結果。どんな題材を使ってもフィンチャー印がどかんと押される安心感と安定感にニヤニヤが止まらない2時間でした。

ということで、こっからさきはこの「世界精神型」という伊藤計劃氏の批評に乗っかって書いていきますよ。





引用したエントリ、全部引用したいくらい素晴らしいです(関連するエントリで「ダークナイトの奇跡」もとってもおもしろいよ)。


で、冒頭に戻ると、観る前に耳にしたのはザッカーバーグが悪者として描かれているみたいな話だったので、そこからぼくは「ザッカーバーグが世界精神型の悪として君臨し彼が見せたい世界、つまりFace bookが巨大になっていき世界の景色を塗り替えていく中で翻弄される人々を描く映画」なのかなと思ったのだけど、それは若干違った。どこが違うかというと、ザッカーバーグは悪者としては描かれていなかった(今思えばぼくが耳にした悪者ってのは実際の彼よりもかなりひどいやつとして描かれているっていう意味での「悪者」だったのかな?)。


今回もザッカーバーグ以外の世界を変える術や力を持たない人々は『セブン』、『ファイトクラブ』と同じで、ただなすすべもなく彼が作り改変していく世界を甘んじて受け入れるしかない。ただ、今回ザッカーバーグの動機というのが「俺はフェイスブックによって改変されていく世界を見たいんだ!」というただその一点のみに突き進んでいるわけじゃなくて、フラタニティに入りたいとか、エドゥアルドに嫉妬とか、エリカを振り向かせるためとかわりとわかりやすい俗っぽい動機が明示されている。


って、あれ?つーことはこれ「世界精神型」じゃなくね?こんなわかりやすい動機ってのは…… いや、でも上にあげた動機はお話に入りやすくするためにこうしたのだと思う。本質的なところはザッカーバーグが審議会の中で言う「俺はFacebookのことだけを考えていたいんだ!それ以外は何も考えたくない!!」ってここでしょ。彼はFacebookで変わる世界を見たいし、変えたいんだよ。ここがぼくがこの映画も「世界精神型」と思った理由。このセリフには痺れた。震えた。



ただ、ザッカーバーグは世界精神型の「悪」、ではない。実際のザッカーバーグとこの映画のザッカーバーグにどのくらいの齟齬があるのか知らないけど、フィンチャーはけっして悪意を持って悪役として描いてはいない。

という根拠は、ザッカーバーグを貶めようとか、エドゥアルドに肩入れしようとかそういう偏った視点がないからだ。この映画、すべての登場人物と等しく距離を取っている。具体的には、動物虐待のエピソードとか、終盤の警察に通報するところとか結局誰がやったのか答えを出していない。

初めて観たときぼくは、エドゥアルド可哀想だろ、パーカーひどい!だったのに、二度目は、まあエドゥアルドも落ち度はあるし、パーカーいけ好かないけどフェイスブックを大きく飛躍させたのは彼の功績なくしては語れないし、と印象が変わったのは上記の理由からだと思う。

これとこれとこれとこれとこれってエピソードをばばばーとテーブルに並べて、ここからは先はあなたが判断してね、と観客にその判断をゆだねている。

このやり方、ぼくは好感持ちましたよ。フィンチャー、フェアじゃん。というかそもそもフィンチャーはこの映画で悪人かを描きたかったわけじゃないでしょうからね。



いっちゃえばけっこう地味な題材だよね、これ。それなのにまったく地味に感じさせないのは、フィンチャーの演出や画作りが素晴らしいのはもちろんとして、会話も非常におもしろいものになってるからだよ。どんな具合におもしろいかというと、こちらが想像している斜め上をいく言葉がバンバン出てくる。 例えば、審議会のときのやりとりではマークが常に、ウィンクルボス兄弟とハーバード学長とのやりとりでは学長が常にこちらの想像の斜め上をいくことをしゃべるのだ。ずっと見てたいよ。



「さあ!今からおめらーに世界が書き換えられる景色を見せてやるぜっ!!」


という予感めいたものが画面からびしびし滲んで出てきている冒頭のザッカーバーグがバーから寮に走って帰るシーンでわしづかみずきゅん。



追記(2011/02/19):う〜ん、読み返すと言いたいことがとっちらかってますね。ちょっと世界精神型にひっぱられすぎてそれありきで考え過ぎたのかもしれない。一度吹き替えでみたい。ソフトでたら買うとして、フィンチャーとアランソーキンのオーコメ希望。




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